
最初からブログエンジンを配布するつもりはなかった。
ただ自分用の綺麗なブログを作ろうとしていたら話が大きくなったのだが、今振り返ると、配布まで決意したきっかけはあまりにも単純かつ安易だった。
「このエンジンがうまく広まって影響力を持てば、検索結果を埋め尽くすゴミ記事に何らかの仕組みを仕込んで、自然と目立たなくさせられるんじゃないか?」と、あまりにも軽く考えていたのだ。
つまり、ゴミ記事のないクリーンなブログ生態系を作りたいという、そのおめでたい大義名分がこのエンジン開発の出発点だった。私のブログエンジンは、多言語を無限に拡張できる構造になっている。
今は私が韓国語で書くと、英語と日本語の投稿やURLスラッグをLLM翻訳で生成する程度だが、韓国語のタイトルを入れると英語スラッグを自動で生成する機能をつけようとしたとき、ふと現実に引き戻された。
ゴミ記事が嫌で始めたプロジェクトなのに、当の自分からしてLLMを使っており、いくら構造やSEOを工夫したところで、他人がこれを持ち出してLLMを回し、世界中の言語でゴミ記事を量産し始めたら防ぐ手立てがないと気づいたのだ。どうせ腹をくくった人間が外部の自動化スクリプトを迂回連携させて投稿を飛ばすなら、完全に防ぐことはできない。
実際、わざと連携を面倒で扱いづらく作っておいたのだが、これを今の時代に合わせて便利な投稿機能として開放するのが正しいのか疑問に思う。
最近LLMが書く文章は、昔のような単純なキーワード連打のレベルではなく、一見するとそれっぽい。
しかし、ハルシネーションのせいでガセネタをそれらしく撒き散らすという、また別の、より深刻なゴミが生み出されている。
LLM APIやMCP連携がトレンドだとは言うが、これを自分の手で楽に使えるよう開放するのは、もともと目指していた方向と真逆に進んでいる気がしてならない。もちろん、「LLMの使用 = ゴミ記事の生成」という単純なフレームに閉じ込めるのには無理がある。
結局LLMも人間が使う道具に過ぎず、望む目的のために使うという点は同じだ。
根本的な違いはユーザーの「意図」にある。
問題は、アクセス数を稼いで経済的利益だけを得ようとする意図なのか、それとも自分の主張や正確な情報を読みやすく整えようとする意図なのかを、LLM自身が区別できない点だ。
結局は道具ではなくユーザー自体の問題であり、こればかりはどうしようもない。
どうせやる気になれば、今の状況でもどうにかして投稿工場モードで自動化することは可能なのだから。正直なところ、現実的な考えも頭をよぎる。
今このエンジンに対する人々の関心は実質ゼロに近い。
「どうせ埋もれて消えるくらいなら、LLM自動投稿機能でもつけて注目を集めるべきか?」と思ったりもする。
しかし、それならなぜ苦労してこれを作ったのかと虚しくなり、一方で「どうせ他人は使わないし自分一人で使うのに、何をここまで悩んでいるんだ」と投げやりになりたくもなる。結局、トレンドに合わせて連携はさせることになりそうだが、果たしてどこまで開放するのが正しいのか悩み続けている。
完全に塞ぐと孤立する気がするし、すべて開放するとエンジンを作った意味が消える気がして結論を出せずにいる。
どうせ答えの出ない悩みだが、当面はこの曖昧な状態のままもう少し悩み続けてみるつもりだ。
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